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2009年8月29日 (土)

小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間である(「1Q84」 村上春樹 )

私が大学生の頃本屋でアルバイトをしていました。その時に爆発的に売れた本が村上春樹氏の「ノルウェーの森」でした。そんなに面白いのか?と思い読んでみたのですが、今ひとつ面白さが分からなかったんです。それが村上作品初体験だったので、自分には村上春樹は合わないと決め付けてその後20年ほど生きて来ました。そこで登場したのが最新作「1Q84」です。発売直ぐに200万部を超える勢いは、正にあの「ノルウェーの森」と同じな爆発的な売れ行きです。それでも過去の印象から興味がなかったんですが、友人に薦められて何となく読んでみました。そしたらどうでしょう!面白いじゃないですか!これは村上作品が変わったのか?自分の感性が変わったのか?真意は分かりませんが分厚い二部作を一気読みしてしまいました。細かい物語は説明しませんが、青豆という殺し屋の女性(表の顔はスポーツインストラクター)と天吾という予備校講師をしながら小説家を目指す男性。この二人の話が同時期に交互に語られていきます。全く関係が無かったような二人が何時しか密接に関わり合っていきます。一つだけネタバレすると、実はこの二人子供の頃に出会っていて、今もお互いの存在を忘れられずに居るんです。その事がこの物語を大きく動かします。まー大きなテーマをあげるとしたら(愛)でしょう。それも男女間の愛を超越した、ソウルメイトとしての(愛)な気がします。それだけの(愛)をテーマにしながらお互いが直接会う場面が存在しない。ラストにある一瞬のニアミスのみというのが切ないです。そしてもう一つのテーマが(善と悪)な気がします。文中に「この世には絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない」と言い、更に「善悪とは静止し固定されたものではなく、常に場所や立場を入れ替え続けているのだ(中略)重要なのは動き回る善と悪とのバランスを維持しておく事(中略)そう、均衡そのものが善なのだ」とも言います。我々が住む1984年と、主人公達が住む1Q84年では善悪の立場が違い、その均衡をとる為の物語だと気付かされます。壮大なテーマをこれだけ読ませるのは本と流石の力量だと思います。終わり方が唐突で曖昧なので続編が出るのでは?という憶測が飛び交っていますが、私個人的にはこれで完結で充分な気がします。文中でチェーホフの言葉を借りて登場人物にこうも言わせてます。「小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間である」と。このセリフが正しいと信じる村上氏なので、この終わり方がベストだと感じます。何にせよ20年ぶりの村上作品堪能させて頂きました。

 

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