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2009年6月 6日 (土)

厭と嫌の明確な違い(「厭な小説」 京極夏彦 )

(厭)という漢字と(嫌)という同音の漢字の違いは何処にあるんだろうと思い、少し黴臭い湿った押入れの奥からボロボロになった(広辞苑)を引きずり出して調べた。(嫌)という文字はちゃんとあるのに、(厭)という文字の存在は無い。(広辞苑)には存在しないのに(厭)という文字の持つとてつもない(厭)さはDNAレベルで感じ取る事が出来る。見えざる生ぬるい手に不意に触られたかのような(厭)さが全身を貫いた。唐突な出だしですが京極夏彦さんの最新作「厭な小説」を読んだ感想です。恐らく京極作品で初めての現代小説だと思います(もしかして出ているかもしれませんが、私の知るところでは初めてです)。七話からなる連作短編集なんですが一話一話完結しているので途中読みしても大丈夫ですが、最後の書き下ろしで総ての話がループする造りとなっています。そして総ての短編に(厭な~)というタイトルがつけられています(例えば厭な子供とか厭な扉とか)。これだけ(厭)なという言葉を集めた位ですから相当(厭)な話なんだろうなーと覚悟し読みました。現に本の帯にも(知りませんからね、読んで後悔しても)というキャッチコピーが付けられています。流石に京極さんです。話の展開や世界観は上手いです。しかし言うほど(厭)な感じは受けませんでした。普通の方が読めは感じるのかもしれませんが、常日頃から(厭)な映像や本を見尽くしている私にはそれ程(厭)ではありませんでした。でも作品としてはイイのではないでしょうか?京極作品としては久しぶりに安心して楽しませてもらった一冊です。また本の装丁も素晴らしいんです。わざとボロボロ感だ出してあり、紙もザラ半紙のようなざらついてます。途中本の間に蚊が潰れて死んでいる絵があったりもします。最終章に出てくるこの本自体の存在が分かると、更にこの装丁の素晴らしさを感じられると思います(この部分は読んだ人で無いと分から無いです)。こんな(厭)な小説に対して何の(厭)さも感じない自分自身が本当に(嫌)だと読了後感じました。

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