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2008年4月21日 (月)

マイノリティーの共感文学(「秘密の花園」三浦しをん)

昨年読んだ本の中でベスト3に入る柴田よしきさんの「聖なる黒夜」の後書きを書いていた人物がいます。しかもその後書きが本文と同じレベルで凄かったので、何時かこの作家の本を読んでみたいと心から願った人が居ます。その名を三浦しをんと言います。今回彼女の作品である「秘密の花園」を読みました。自分の直感を信じてよかったと思えるほど素晴らしい作品でした。物語はカトリック系の学校に通う三人の女学生の連作短編です。三章からなるんですが、それぞれの章が別の少女の語り口で語られています。先日紹介した森絵都さんの「永遠の出口」を(共感の文学)と言いましたが、この三浦さんの作品も視点は違うのですが同じく(共感の文学)であると思います。しかし森さんと三浦さんの決定的な違いは、(湿度)にある気がします。森さんの作品に登場する少女は良くも悪くも男が想像出来る範囲のステレオタイプです(故に男性が読んでもある程度の共感が得られる気がします)。一方三浦さんの描く少女は(内臓感覚)と言うか、良く言われる(女性は子宮で考える)という言葉がピッタリくる男性には理解の難しい女性像が描かれています。その色合いは出だしの文章から炸裂しています。「孵化したばかりのヒヨコがねっとり濡れていると知った時、少し失望したことを覚えている。あの硬質な殻の中から出てくるヒヨコですら、生き物としての湿り気と無縁ではいられないのだ。」この一文にこの小説の粘着性や湿度感が総て表れている気がします。三浦氏は後書きで「記号でも消費物でもない誇り高い生き物である少女を書きたいと思った」と述べています。TVのNEWSで流れる援助交際や深夜徘徊する少女もリアルなんでしょうが、三浦氏の書く不安定でコントロールの効かない少女に物凄くリアル感を感じました。森絵都さんの作品に共感する人とは別の存在の人達にはバイブルとなり得る程の共感を得られる作品だと思います。男性は理解不能な点も多いと思いますが、私は痺れる程堪能して読みました。明日も三浦さんの作品について書きます。

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