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2008年1月31日 (木)

自分を救えるのは自分自身だけ(「夜想」貫井徳郎)

少し前のデーターですが、現在日本で登録されている宗教法人の数は184000にも及ぶそうです。こんな小さな島国にこれだけの数の実体の無い物が存在しているのには驚きを隠せません。広辞苑で(宗教)という言葉を調べると、(神または何らかの超越的絶対者)という説明がされています。神という存在自体が目に見えないものなので何とも言えないのですが、少なくとも歴史的に連綿と続いてきた宗教(キリスト教・仏教・イスラム教及びそれらから発生した関連したモノ)達は、信仰の対象としてちゃんと形態や理論が完成されているので除外するとして、それ以外のモノ、大きな括りで新興宗教とよばれる宗派の数は多分誰も正確な数や存在を把握していないのではないかと思います。貫井徳郎という一人の作家が居ます。新興宗教を題材にした「慟哭」で衝撃的なデビューをした後、事ある毎に(神)や(救い)を題材にした作品を世に送り出して続けています。今回読んだ「夜想」という本も(新興宗教)や(救い)がテーマの一冊でした。一応ミステリーの部分も少しありますが、正直全く必要なかった気がします。こういったテーマの本を数々の作家さんが書いてきましたが、同じ様に見えて少しづつ観点が違ったりします。貫井さんの視点は(救い)にある気がします。突然の事故で妻と子供を亡くした主人公が、人や物に触れる事でその人の苦しみが理解できる特異体質の少女と出会う事で、生甲斐を見つけ、更にその少女を絶対的存在とした宗教(主人公はあくまでも宗教とは呼んでませんが)団体が大きくなっていく姿を描いています。貫井氏が言いたかったのは特異体質の少女に出会って救われたと思っていた主人公が、実は少女の人生を救っていたという点な気がします。人は皆誰かに救われ救っているんです。それに気付けば絶対的な存在など必要がないはずなんですが、普段はそれに全く気付いていないという事です。自分が救われたいなら周りの人の手助けをする事。そして最後は自分自身でしか本当の意味での救いは成し遂げられないという事です。宗教や第三者はあくまでも手助けしか出来ないのです。今回貫井氏から教わりました。只作品としては何時もの貫井作品のレベルと比べると少し物足りない気がします。その点は残念でした。

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