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2007年11月23日 (金)

ミステリー小説で遊んだころ

人間は悪意の無い(騙し)が結構好きである。映画や小説では自分が騙された事にラストで気付き、トリックに気付かなかった事に嘆いたり喜んだりします。私も気持ちよく騙された場合は作者の技量に唸ってしまう時が時にはあります。しかしあくまでもストーリーや深い人物描写が先にあってのトリックでないと読んでいて全く世界に嵌れません。ミステリー好きと公言していても、本格派に嵌れないのはトリック中心の話が得意では無いからです。昨日読んだ連城三紀彦さんの「流れ星で遊んだころ」は個人的には非常に惜しい一冊でした。この本は「2004年このミステリーが凄い」の第9位にランクインした作品です。その前の年に「人間動物園」「白光」という名作を二品も世に送り出し、私も二冊とも読んで堪能しました。その流れで非常に楽しみにして読み始めたのですが、結果は今一つでした。連城ワールドといっても良いトリッキーな技術が所々に散りばめられています。要所要所で一人称と三人称の視点が変わり、過去と現在も交差します。読んでいるとだんだん誰の視点なのか今は何時なのか迷宮にはまり込んでいきます。そして最大のドンデン返しがラストでなく中盤に用意してあります。この辺は素晴らしいです。しかし余りにもトリックの方ばかりに重点がおかれて過ぎて、肝心の物語や主題がぼやけてしまった気がします。連城ファンに言わせればこれこそが連城マジックだ!と絶賛の声が聞こえていそうですが、本格好きでない私には(これも本当の意味では本格ではないかもしれませんが・・)少し技巧的過ぎてお腹イッパイに感じました。それでも技術を駆使した叙述トリックの腕前は流石といえます。正に連城さんがミステリー小説で遊んだお手本的な一冊でしょう。

流れ星と遊んだころ

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