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2007年7月24日 (火)

信じるのではなく、感じる

普段あまりエッセイは読まない方です。どちらかと言うと完全なるフィクションの方が読んでいて世界に嵌り込めます。後少し生意気な言い方をさせてもらえば、エッセイなら俺にもかけるぞ!という何の根拠も無い思いも何処かに在るからかもしれません。しかし絶対私には書く事の出来ないエッセイに出会いました。田口ランディさんの「オカルト」という一冊です。タイトルの「オカルト」とはラテン語のocculereの過去分詞で(隠されたもの)というのが語源だそうです。元々は宗教的意味合いの時に使われていたのが、今の日本では広い範囲で不可思議な世界の事を表す言葉になっています。そんなタイトルをつけるくらいですからさぞかし怖い話満載!と想像しながら読み始めましたが、怖い話など一つも無く日常の隙間に存在する不思議な話や感覚を脈絡も無く書き綴った作品集でした。エッセイなのに作品集と言うのはおかしいのでは?という方も居ると思いますが、何処までが本当の話で、何処からが作り話なのか曖昧な話が多いので純然たるエッセイでは無い気がするからです。作者自身は霊は見た事が無いし信じないと明言しています。しかし人よりも何かの気配を感じる力はあると言っています。気配とは決して霊的なことだけでなく、雨の気配や人の気配や地震の気配など多義に渡ります。その多感な気配のお蔭で日常生活で様々な不思議な感覚に陥るそうです。その瞬間に感じた事を時に詩的に時に書き殴ったような文章で言葉に残してきた物達の作品集なんでしょう。書いた時期も相当広範囲に渡るみたいで、彼女が幼い頃から感受性が豊かだった事を実感させられます。私的には物凄く面白く&興味深く読む事が出来ました。彼女は後書きで「多分オカルトとは、信じるものではなく、感じるものだと思う」と言っています。オカルトに限らず私達は少しばかり知識があるお蔭で総て頭で考えて理解しようとします。しかし考えると感じるは決定的に違う事だと思う。多分子供の頃は知識が無い分自然にそうしてきた気がします。良い事も悪い事も頭で考えすぎなのかもしれませんね。これからは少し感じるようにしてみようと言う気にさせられました。不思議な話のエッセイなのに何故か生きる指針を教えてもらった様な気がします。

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