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2007年6月29日 (金)

日本版カポーティ

本日も大崎善生氏のノンフィクションについて書きます。本題に入る前に解説に注目したいと思います。解説にこう書いてあります「まるでカポーティの様だ」と。偶然にもここ数日前にこのブログでも触れた人物であるカポーティの名前が出てきました。カポーティがとある事件に囚われたのと同じく、大崎氏も小さな新聞記事から何故か目が離せなくなります。その記事とは、遠く離れた異国の地のドナウ川で19歳の女子大学生と33歳の自称指揮者が投身自殺した、というものです。恐らく記事が初めて新聞に記載された時は、事件性も無い有名人でもない一般人の異国での自殺など、小さな扱いだったと思われます。そこに何故か興味が行ったのは大崎氏の運命としか思えません。大崎氏は現存する関係者(両親・友達・留学先の知り合いなど)や資料(手紙・FAX・パソコンのメールなど)を、事細かに調べ検証してこの本を書き上げています。昨日書いた「聖の青春」との決定的な違いは、本人(少女と指揮者)には一度も会っていないと言う事です。故に筆者の想像で書いている部分も多々あるという点です。特に何故死を選んだか?という部分に付いては本人達にしか分ら無い事です。名言はしていませんが大崎氏の推測になります。数ある証拠や証言を積み重ねると死に向かう理由は何となく分る気がしますが、これさえも大崎氏のこうであっただろうという想いの入った上での展開なので、本当の所までは何ともいえません。彼女は幸せだったんだろうか?不幸せだったんだろうか?この部分も読んだ人により相当感じ方が違う気がします。作品としては結構好きなんですが、ノンフィクションとフィクションの良い点を合わせた様な作品な気がするので、純然たるノンフィクションとして扱っていいのかは少し疑問が残ります。彼女の写真が終わる直前に掲載されているのにも、少しフィクションぽいあざとさが感じられて残念です。それにして大崎氏の作品には死が付きまといます。テーマなんでしょうが、死の無い話も読んでみたいものです。色々言いましたがタイトルは「ドナウよ、静かに流れよ」と言いいます。少し文句つけましたが、大好きな作品である事は間違いないです。悔しいですが大崎氏に今の所外れなしです。

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