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2006年12月15日 (金)

確信犯的○○風作品の未来には

先日も書きましたが全くの素人がある分野で成功を収めようと思う時、先ずは既に成功している物を物真似する事から始めると何か別の物が見えてくるという事が良くあります。100年に1人の天才では無い限り全くのゼロから新しい物を生み出すのは至難の技です。今世に出ている作家や映画監督・ミュージシャンの殆どは敬愛し物真似してきた先人の天才が存在します。要は先人の知恵(?)を活かしてそこから自分らしさを生み出せば良いのです。昨日読んだ小川勝己(おがわ かつみ)さんの「彼岸の奴隷」を読んでふとそんな事を思い直しました。小川氏は「葬列」という作品で第二十回横溝正史賞を受賞しデビューしました。思えばこの時も桐野夏生さんの名作「OUT」との類似性を批判されていました。その情報を知らずに読んだ私自身も「これって、設定は全く一緒だよなー」と苦笑してしまったくらいです。しかし只似ているだけでなく小川氏ならではの独特の世界観は既に構築されていました。その後読んだ「しおな田村事件」(実際「しおな」は漢字です)は表紙に堂々と「横溝正史氏へのオマージュ」というキャッチコピーがついているくらいですから、正しく横溝氏の作品を意識して模写した作風になっていました。そしてこの「彼岸の奴隷」は所謂ノワール系の作風なんですが、私には馳星周さんや新堂冬樹さんの作風の類似性を物凄く感じました。ノワール系の作品ですから似ている点があるのは当然なんですが、やはり先に出ている作品の方が印象が強いです。その点で少し損をしている気がします。小川氏の作品を先に読んだ人にはどれも捻りがあり面白いとは思うのですが、先の作品群を読んでからだと印象が違うと思います。それでも先ほども言ったように才能は物凄く感じる作家です。この後物真似を自分の血肉に変えて小川氏にしか書けない作風を確立の予感大です。期待してますよ!!!

  

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