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2006年10月19日 (木)

ロボットはもはやSFでは無く現実

2003年4月7日が何の日だったか覚えている人は居るだろうか?多分普通は憶えていない他愛も無い出来事があった日です。手塚治虫の漫画「鉄腕アトム」が誕生したとされた設定の日です。つまり30年以上前に手塚氏は2003年にはアトムの様な人型ロボットが既に完成していて人間と当たり前の様に生活していると予測していたのです。そうは言っても手塚氏は只の漫画家です。科学者でもないので根拠の無い想像力の世界の話なので別段外れたからと言って何の責めを受けることではありません。しかし世の中の人々の多くは手塚氏の描く未来図を同じように信じていたと思います。昨日読んだ瀬名秀明さんの「ハル」は人間と未完成のロボットとの普通の生活を描いた非常に興味深い内容でした。ロボットと人間が生活するという時代はそんな未来ではなく直ぐそこの現実です。連作短編の形をとっているこの作品でも(犬型ロボット)や(博物館の展示ロボット)などの既に完成している物から、人間の赤ちゃんと一緒に生活させると同じように生活の中で学習しながら成長するシステムを持つロボットなどとの人間との日常生活を何気なく描いています。瀬名氏は「パラサイト・イヴ」ではミトコンドリア・「ブレイン・バレー」では脳と非常に科学的且つ理系の話をベースに物語を構築していく稀有な存在です。故に導入部分は私みたいな完全文系脳の人間には少し難しくて辛い部分があります。しかし読む進めると何故か物悲しく不完全な人間の物語に変って行きます。理系の脳を持ちながら文章は文系の良さを兼ね揃えています。今回もロボット工学という耳にあまり馴染みの無い分野を話の中心に置いているにも関わらず、話の進行は人間の心の傷や悲しみを追う形で進んでいきます。文中に「ロボットに心はあるのか?」という投げ掛けが何度もされます。答えはYESでもNOでもありません。接触した側の人間がどう感じるかで全く答えが変って来ます。要は人間関係と同じで心を伝えようと努力し、相手を理解し様と思わなければ人間同士でも何も伝わりません。対ロボットも同じです。話の中でロボットが普通に普及した近未来要らなくなったロボットはPL法の規制を受けゴミに出せない設定になっていたりします。その不法投棄されたロボットを拾った少女にはロボットとの心の交流が確かにありました。しかしゴミとして捨てた人には交流など全く無かったのです。面白いですね。自分も文章を書いていて本末転倒な感じがしてきました。また「人間がロボットを人型に拘った為に、今のロボット工学の進歩を妨げている」という事実も知ることが出来ました。手塚氏も存命中にロボット工学の進歩の遅れを知り「鉄腕アトム」の新作では誕生年を2030年に訂正しているそうです(あまり知られていないみたいですが・・・)。でも後20年後には普通にロボットと共存しているかもしれませんね。次世代の科学者には楽しみな研究材料です。

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